姑獲鳥の夏〜雑司が谷鬼子母神
妖怪ミステリー作家、京極夏彦氏の作品であり、ファンの間では「京極堂シリーズ」として読まれているシリーズの第1弾。「姑獲鳥の夏」(うぶめのなつ)は1994年に講談社ノベルズとして出版された。
また2005年夏には実相寺監督により映画化され話題を呼んだ。
今回はそんな「姑獲鳥の夏」縁の地、作中では重要な場所を散策してみることにする。
注)ネタバレしないように最善の注意を払っておりますが途中作品のネタバレが含まれる場合があります。これから読もうとしている方はお気をつけ下さい。
見えにくいですが「早稲田行き」の都電荒川線。七樹はこの日、大塚停留所(都電は駅とは言わず、停留所と呼ぶそうです)から早稲田行きに乗り込みました。大人160円子供80円というリーズナブルな料金。沿線に住んでいる人が羨ましいです。
ちなみに作中で関口君が乗ったのは早稲田発の三ノ輪口行きだと思われます。舞台背景が昭和27年なので路面電車はもっとあったんだと思いますが作中には「中野から都バスに乗り、早稲田で都電に乗り換えた」と書かれているので、ここでは前者という事で。ちなみに都バスで「鬼子母神前」に直に行けるんですけど、まぁ昭和27年ですからそこはそれ(苦笑)
で、この都電。走っている所を見る限りだとゆっくりゆったり走っているなあと思っていたのですが、いざ乗ってみると早い(笑)そのギャップに唖然としつつも…
笑っちゃうほどの都電の揺れで都電酔いを軽くしつつ何とか鬼子母神前停留所に到着。大塚停留所から大体15分くらい。この写真は三ノ輪口方面の乗り場で撮影。
時期がお彼岸でもあったので、雑司が谷で降りるお客さんが多かったです。勿論、この鬼子母神前でも沢山の人が降りてゆきました。
それでは鬼子母神堂に向かいましょう…
七樹は鳥口君並に方向音痴です。七樹と鳥口君が歩いたら大変です。それこそ「うへえ」です(苦笑)なのでこの日も前を歩くおじさんの後をこっそりつけて歩きました(笑)ちょっと探偵気分です(嘘)
で、鬼子母神に続くこのけやき並木が圧巻。夏場と秋に行ってみたくなりました。川越街道のけやき並木もスバラシイですがここは商店や民家の立ち並ぶ道にズラーっと立ってますからね。ステキです。
けやき並木を眺めながら進んでいたらおじさんの姿を見失った七樹ですが、停留所から真っ直ぐ歩いていただけでした(笑)
けやき並木の先に広がるのがこの日目指す鬼子母神です。
この日は祭日でもあったので境内にはお子連れ、犬連れが多かったですな。ちなみに境内の出店はいつも出ているそうです(左) ここの鬼子母神ではやたらと「石榴(ざくろ)」をあしらった造形物がありました。右側の画像は境内入り口の脇に建っていた柱に彫られていた「石榴」です。
境内に一歩足を踏み入れると目に付くのがここ。「武芳稲荷大明神(たけよしいなりだいみょうじん)」。真っ赤な鳥居が稲荷社目掛けて建っています。
映画を見た方、DVDを購入した方はこの場所に覚えがあると思います。この鳥居の前で「木場修役」の宮迫さんがインタビューを受けた場所でもあります。
ちなみに左側はお稲荷様を背中にして撮った画像。右側は境内入り口付近の鳥居から撮った画像です。
ここは昔「稲荷の森」と呼ばれていたそうです。この鳥居を潜って歩いて行くと其処此処にお地蔵様が建っておりました。
花が絶えないそうです。
稲荷大明神の鳥居の真ん中にでんと佇むこの大木は「樹齢600年の銀杏の樹」です。時期が3月だったので葉が付いていなかったのは残念でしたが、秋にまた行ってみたいと思います。ちなみに「東京都指定天然記念物」なんだそうです。
この銀杏の樹を取り囲むようにして稲荷大明神の鳥居は建っているのです。
流石に、この樹には形代や藁人形は打ち付けてなかったですが…(汗)
打ち付けたり傷つけたらダメですよ!!
それでは鬼子母神堂に足を伸ばしてみましょう。
鬼子母神は「きしもじん」と読みますが、土地の名前、駅の名前では「きしぼじん」と呼ぶそうです。この神社は「きしもじん」と呼ばれているようなのです。
お気づきかと思いますが、鬼子母神の「鬼」という漢字、「つの」がないですよね。
これには謂れがあるのです。
―鬼子母神はその昔、インドで訶梨帝母(カリテイモ)と呼ばれていました。
千人の子供がいたのですが、訶梨帝母は近隣の子供を攫っては食べるので人々から恐れられていました。
それを知ったお釈迦様は訶梨帝母の千人の子供の一番末っ子を隠しました。
その時訶梨帝母は酷く悲しみ、嘆き苦しんだのでお釈迦様は「千人のうちの一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を食らうとき、その父母の嘆きやいかん」と戒めました。要するに「千人うち1人失っただけでそんなに悲しむのだ。それは自分の子供を攫われ、喰われた時の悲しみと同じだ」とお釈迦様は悟ったのですな。
そこで訶梨帝母は今までの自分の過ちに気付き、お釈迦様に帰依し、その後安産・子育の神となることを誓い「鬼子母神」となって人々に愛されるようになったそうです。
この際、「鬼」だった訶梨帝母は改心したという事で「鬼」に「つの」がない状態で書かれるようにもなったようです。
鬼子母神の絵馬には石榴の絵が描いてあります。
石榴は種子が沢山詰まっている事から「安産・子沢山」の意味も込めて中国などでも非常に縁起のよい果実の一つでもありますが、実はこの石榴…
人肉の味がするそうです(汗)
鬼子母神はお釈迦様から悟られ改心したとはいえ、あの人間の味が忘れられないのかこの人肉の味がすると言われている石榴で気を紛らせているのでしょうか…。
それにしても人肉は、甘酸っぱい味なんですね…(苦笑)
後記
○参拝後、雑司が谷の町を歩いてみたのですが、道が細く曲がりくねっていたりしていました。
アパートやマンションが多かったりしていたのですが、一本脇道に入ると昭和の佇まい、街並みが広がっていました。
作中にも「この界隈は焼けなかった、被害は少なかった」と書かれていましたが、確かに昔からの建物がまだ残っていたので戦火は免れたようですな。池袋付近は被害が大きかったようですが。
そうそう、京極先生は作品を書くにあたって「取材」をしないそうです。
というのもこの「姑獲鳥の夏」を出版後に雑司が谷、鬼子母神界隈を訪れたそうなのですが実際に「産婦人科」の病院が近くにあってびっくりしたそうです。その後「魍魎の匣
」執筆中に取材をしようと「相模湖」に行く予定を立てていた矢先、実際に「相模湖でバラバラ死体」が発見され、取材は中止に。
それ以降先生は取材には行かないそうです…。
そんな訳で次回は多分「魍魎の匣 」散策をする予定です。
相模湖か、はたまた某駅か、木場修の住んでいる町散策か…。
出来たら全部まとめて公開したいなと思ったり思わなかったり…(汗)
鬼子母神
サイト→http://www.kishimojin.jp/index.html
add.東京都豊島区雑司ヶ谷3-15-20
都電荒川線「鬼子母神前」下車。
京極夏彦著「姑獲鳥の夏」購入は、
文庫版 姑獲鳥の夏
映画 姑獲鳥の夏 こちらも併せてどうぞ♪(原作を読んでいないと難しいかもしれないです)